私がFIREをした一番の理由

 こんばんは、ヤギ仙人です🐐。フルFIREして3か月が経ち、なぜ自分がFIREしたのかが徐々に明確になって来ました。そこで今回は「私がFIREをした一番の理由」について説明します。

「なぜFIREするのか?」は意外と難しい問題

 お恥ずかしい話ですが、FIREする過程においては「経済的にやって行けるか?」が主な心配事で、「なぜFIREするのか?」については考えが至りませんでした。経済的な問題が一段落し、最近やっと「なぜ」の部分を明確に意識できるようになりました。それは「会社の枠を離れて世の中を見てみたい」という思いでした。

「会社」という枠組みの強靭さ

 「会社」という枠組みは意外と強靭です。筆者は大学を卒業して30年以上同じ会社に勤めていたので、会社に所属していることに慣れ切って、会社に所属していない自分が想像できなくなっていました。

 実はそれが終身雇用を軸にした日本の「会社システム」のブラックな部分で、余計なことを考えずにひたすら組織に忠誠を尽くした方が得になるように設計されているのです。転職を考えるなんてもっての外で、思想的な転向者と同じような扱いを受けます。

 この日本的システムの歴史は古く、江戸時代初期に徳川家康が林羅山を登用し、儒教の一派である朱子学が江戸幕府の官学として位置付けられたことに始まります。 道徳と社会秩序を重視する朱子学は、幕府が封建制度を維持する上で重要な役割を担ったのです。

 当時の武士達の幕府や藩に対する精神的スタンスである「滅私奉公」という言葉も、この時代に広く普及したもののようです。

組織優先の行動様式もそろそろ限界か?

日本的「会社システム」の限界

 しかし、江戸幕府の開府から420年以上、終戦から80年も経つと この日本的なシステムにもガタが来ているように感じます。上位下達の意思決定「会社優先」「効率優先」「利益優先」の経営姿勢は社員の創造性と可能性を毀損し、会社という場所が社員にとって必ずしも幸せな場所ではなくなりました。

 本来であれば、もっと個人の力を活用し 創造性豊かでチャレンジングな組織を作るべきだったのですが、現実には同調圧力が強く 方向性の異なる意見を唱える者には居心地の悪い会社が大多数です。結果として、「生成AI」や「先端半導体」、「ヒューマノイド」といった世界をリードする産業で米国の後塵を拝する形になってしまっています。

「会社」という枠の外から世の中を見てみたい

 会社の中にいると、そういう「不都合な真実」は案外気になりません。日々の仕事に忙殺されるのと、自分の待遇や給与に気を取られて客観的な状況に気づかないからです。いわゆる「ゆでガエル」ですね。ただ、言葉に出来ないながらも、筆者の中でそういう組織に対する違和感や嫌悪感がオリのように蓄積していった気がします。FIREを検討する中で、「会社という枠組みを離れて世の中を見てみたい」という意向が徐々に強まっていったのです。

 これが筆者がFIREする一番の理由です。最近、ようやくそれに確信が持てるようになりました。

枠組みを離れて見る世界はどうだったのか?

 では、会社という枠組みを離れて見る世界はどうだったのか? 例えていうとこんな感じです。

 映画「マトリックス」で、主人公ネオがモーフィアスから渡された「赤い薬」と「青い薬」のうち「赤い薬」を飲むことで、機械が作り出した夢から抜け出して現実の世界に戻る描写がありましたが、ちょうどあんな感じです。

 そして、同時に感じたのが「なんであんなに目くじら立てて仕事に取り組んでいたんだろう?」ということ。その瞬間の仕事のクオリティにこだわっても、結果はそれほど変わらないのに•••。これは自分の気質にも問題があったのかもしれませんが、会社というシステムに踊らされていた可能性もあるではないかと思います。

 いずれにせよ、枠の外から眺める世界は意外に新鮮で、まだ何者でもなかった大学生の頃に戻ったような気分です。


 今回は筆者がフルFIREする過程で少しずつ見えてきた「FIREする一番の理由」についてお伝えしました。これからもFIREすることで見えてきたものがあればお知らせしたいと思います。ではまた!

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