バブルと暴落の歴史

 こんばんは、ヤギ仙人です。8月上旬の日経平均の暴落は1987年のブラックマンデー時の日経平均の下落幅を上回り、過去最大の暴落だったそうです。そこで今回は「バブルと暴落の歴史」ということで、過去の事例を振り返ってみたいと思います。過去を振り返ることで、バブルと暴落へどのように対処するべきか見えてくるはずです。

世界3大バブルとは?

 世界の歴史を見渡すと、バブルと暴落の事例には事欠きません。まずは代表的なバブルの事例をご紹介します。

 17世紀オランダで起きた記録が残るもので世界で最初の投機バブルの事例です。当時、オスマン帝国からもたらされたチューリップは、富裕層にとって富の象徴となっていました。1630年代から球根の市場価格は徐々に値を上げ、ピークである1637年2月には、球根1個の価格が家1軒を購入することが出来る金額にまで上昇しました。

 ところが、その後球根の市場価格は急落。ピーク時の100分の1以下にまで下落しました。何千人もの人々が莫大な債務を抱え、オランダの各都市は混乱を極めたとされています。

 1717年、スコットランドの実業家ジョン・ローは当時誰からも注目されていなかったミシシッピ会社の経営権を入手しました。ジョン・ローの狙いは、ミシシッピ川の流域に広がる北アメリカのフランス植民地との貿易。その後、フランス政府から北アメリカと西インド諸島との貿易に関する25年の独占権を手に入れた彼は、巧みなマーケティング戦略で北アメリカの植民地との貿易の旨味を宣伝。

その結果、1719年にミシシッピ会社に対する熱狂的な投機買いが発生しました。株価は500リーブルから1万リーブルまで高騰。しかし、1720年の夏にかけて急激な信用不安が起こり株価は翌年には元の500リーブルまで下落しました。結局、1721年にミシシッピ会社は倒産、株価は紙屑同然となりました。経済は混乱し、民衆には借金だけが残り、ジョン・ローは国外に亡命しました。

 1720年に起きた南海会社の株価大暴落を契機とする大恐慌。「バブル(泡沫)」の語源ともなった事件です。南海会社は1711年、スペイン領中南米との貿易と戦争でふくれ上がった国債の転換を目的として設立されました。南海会社がスペイン領への奴隷の独占的供給権を獲得した事に加え、1720年にはイングランド銀行等を抑えて同社がほとんどすべての

国債を引き受けることを議会が承認したため、株価が爆発的に急騰しました。株価は1720年1月に100ポンド強だったものが、6月末には最高値1050ポンドと10倍までふくれ上がりました。これをきっかけに他にも無数の「株式会社」が出現。熱病的な株式ブームとなりました。だが、同社がまったく利益を上げないことが判明し、株価の大暴落が起こりました。この事件で多くの地主や商人がその資産を失ったため、以降のイギリス経済の発展に深刻な影響を与えたといいます。

 以上が「世界3大バブル」と言われているものです。これ以外にも、「バブル経済(1990年 日本)」ITバブル(2000年 アメリカ)」がバブルの代表例ということになります。

大暴落の歴史

 片や「大暴落」については、市場が生まれてからのことなのでバブルよりも年代が新しくなります。

 ウォール街大暴落は1929年にニューヨーク証券取引所で起きた株価の大暴落です。1920年代、欧米諸国の経済は工業生産の増加により力強く成長していました。ニューヨーク証券取引所は当時世界最大級の株式取引所で、ダウ工業株平均も上昇を続けて、当初の5倍にまでなっていました。アメリカに投資ブームが起こり、株価はいつしか経済のファンダメンタルズを

かい離。投機的な色彩が濃くなって行き、1929年9月3日には381.17㌦の最高値をつけました。暴落は1929年10月24日(木)に起こりました(「ブラックサーズデー」)。この日、株価は13%下落。市場は大混乱に陥りました。翌週の10月28日(月)、29日(火)には、株価はそれぞれ13%、12%と決定的に下落し(「ブラックマンデー」「ブラックチューズデー」)、株価は崩壊しました。市場は一時的に回復するものの低迷を続け、1932年7月8日に最高値から89%下落した41.22㌦で底を打ちました。このウォール街大暴落は世界の資本主義国に大きな影響を与え、世界恐慌の引き金になったという説もあります。

 1987年10月19日(月)に起きたニューヨーク証券取引所の大暴落。1日の取引で508㌦(22.6%)下落しました。1日の下落率としては過去最大。当時、アメリカは財政赤字と貿易赤字という所謂「双子の赤字」を抱えており、ドル安に伴うインフレ懸念が浮上したことが原因とされています。

 また、プログラム売買(あらかじめ定めたルールに従って、コンピュータで自動的に売買する方法)が株価の下落を加速させた側面もあります。この暴落は世界に波及し、主要23市場すべてがその10月に同様に暴落する結果になりました。その反面、実体経済への影響は比較的限定的であり、短期間であったと見られています。

 2008年9月15日に、アメリカの投資銀行大手リーマン・ブラザーズが経営破綻し、そこから連鎖的に世界金融危機が発生した事象。背景にアメリカ政府が推進した低所得者を対象にした高金利住宅ローン「サブプライムローン」問題があります。地価の下落とともに、2007年以降借り手側の返済が滞りはじめ、金融機関が次々に損失を計上。最終的に

リーマン・ブラザーズの破綻につながりました。金融機関救済をめぐる政府の対応の混乱も市場の不信感をあおり、世界的な信用収縮と株価の暴落へと広がったのは記憶に新しいところです。

 その他の暴落としては「コロナ・ショック(2020年 世界全体)」、そしてまだ名前がついていませんが今年8月の日経平均の暴落も歴史に刻まれるのではないかと思います。

バブルと暴落とは何なのか?

 第14代連邦準備制度理事会(FRB)議長を務め、ノーベル経済学賞を受賞したアメリカの経済学者・ベン・バーナンキ氏は、

バブルとは、終わってみないとそれがバブルであったのか、それとも経済のファンダメンタルズを表したものであったのかは解らない。」( 田中秀臣 『ベン・バーナンキ 世界経済の新皇帝』 )

と発言しており、その現象がバブルかどうかを識別することは事実上不可能であるとしています。

 それを理解した上で、今回のバブルと暴落の歴史から何か考察できる点があるとすれば、それはバブルも暴落も経済の発展の著しい国で起きている、という点です。17世紀のオランダは勿論、18世紀のフランスとイギリスも当時ヨーロッパの覇権を争っていた国々です。暴落の主役であるアメリカも世界の経済の中心であるが故の出来事と捉えてよいと思います。経済の発展が著しければ資本が蓄積され、蓄積された資本はよりリターンのよい商品に集中する…。つまり、バブルと暴落は資本主義の宿命と捉えることが出来ます。

 もう少しポジティブに解釈するなら、市場とは大河のようなもので人々に恵みをもたらす半面、時々氾濫する、と言い換えられます。あとは大河の氾濫に対してどのように向き合うか が重要になります。政府や中央銀行であればまた違ったスタンスになるかと思いますが、私達個人投資家としては「流れに飲まれず、少し離れたところから冷静に観察する」ことに尽きるのではないかと思います。

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